1 総論−市町村合併を考える
1.正念場を迎える市町村合併
いま地方自治体は合併の話で揺れ動いています。政府が、総務省を中心に他の省庁を巻き込んで強力に市町村合併を推進しているからです。1999年7月に改正された現行の「市町村の合併の特例に関する法律(以下、合併特例法)」は、2005(平成17)年3月を期限として、それまでに合併を行った市町村に対しては、合併特例債を別枠で認める、自治体が標準的な行政を行うためにその財源の不足を補う地方交付税を合併後10年間は、合併する前と同じ計算方法での額を保障するといった財政上の措置を中心として、議員についての特例など様々な優遇措置を講じて市町村合併を推進する法律です。この法律が現在の市町村合併の動きをかたちづくってきているのです。
総務省のホームページによると、わが国には2002年4月1日現在、3223の市町村がありますが、そのうちの約7割にあたる2226市町村がなんらかの形で合併の検討を始めているとのことです。そのうち、地方自治法に基づき、新しい自治体の建設計画を策定する法定合併協議会の数は65、構成市町村は249です。2001(平成13)年末の時点では、それぞれ34協議会117市町村でしたから、3ヵ月で倍増したことになります。この間、片山総務大臣が全国の市町村長に合併特例法の定める期限までの合併を促す「手紙」を送るなど、政府あげての合併推進の「成果」とも言えます。
しかし、これは合併を推進する側の「焦り」ということも出来ます。というのは、合併特例法の期限は2005(平成17)年3月と、現時点で3年を切っています。これまでの合併例からするとどんなに急いでも2年から3年はかかっています。例えば、東京都田無市と保谷市が合併して2001年1月に発足した「西東京市」は、任意協議会で、1年9ヵ月、法定協議会で1年3ヵ月の合計3年かかっています。今後、どんなにピッチをあげても2002年中には法定の合併協議会をスタートしなければ間に合わない計算となります。昨年2001年夏に、これまでの合併を参考として「合併協議会マニュアル」が公表されたのもそのようなスケジュールとの関連があるでしょう。
自治体の側でも、積極的に合併によって未来を描くと言うよりは、「バスに乗り遅れるな」「せっかく優遇措置があるのだから、その恩恵を受けよう」ということで、とにもかくにも合併協議をはじめざるを得ないという立場に追い込まれつつあります。特に地方交付税に頼らざるを得ないような地方では県内8割以上の自治体が合併協議を始めているところすらあります。一見すると、市町村合併がいよいよ前に進むと考えられる数字の背景にはこのような事情があります。
しかし、一方で政府の推進政策に反発して、合併とは異なる道を選択する自治体もほうはいとして現れてきました。2001(平成13)年10月、人口7千人の福島県矢祭町議会で全会一致で決議された「市町村合併を合併しない矢祭町宣言」は、昭和の合併の教訓から押しつけでなく住民自治が重要なこと、行政と住民が一体となった地域づくりの実績を大切にすること、合併しても自治体の財政はよくならないことを明確に述べています。これを皮切りに、「合併しない宣言」は山梨県早川町、福岡県芦屋町でも行われ、山口県下松市では、法定合併協議会から離脱するといった動きも現れています。また、合併研究会や合併協議会への不参加の動きも広がりつつあり、合併の枠組みの変更を迫られています。
また政治レベルでは、市町村合併は地方選挙の重要なテーマとなりつつあります。温泉で有名な和歌山県の白浜町では、田辺市を中心とした10市町村での任意合併協議会で協議が始まっており、白浜町も参加していましたが、5月に行われた町長選挙で大きな波乱がありました。現職の町長は再選を目指して微妙な問題をはらむ合併問題は態度を明確にできませんでした。それに対して、新顔の候補は明確に「合併反対」を訴え当選したのです。
また、合併をテーマとした住民投票も2001年7月の埼玉県上尾市をはじめとして、急速に普及しています。これらは、国の押しつけでない、住民の意思にもとづく合併論議が求められていることの証拠ではないでしょうか。
このような環境のもと、いずれにしても、2002年中に合併話がある自治体はいずれかの態度を明確にすることを求められるようになるでしょう。そのときに、単に「優遇措置があるうちに」とか、「合併しなければやっていけない」というような思考停止ではなく、自分たちの町の行く先を決める大変大事な意思決定であるという認識が広く市民の中に共有されていることが大事であると考えます。ここでは、市町村合併をどのように考えたらいいのか、基本的なポイントを示していきます。まずは歴史から振り返ります。
2.市町村合併の歴史
市町村合併は住民から見れば自治、政府から見れば統治の枠組みを変更することであり、為政者から見れば地方自治の範囲を超えて国家的なテーマであるということもできます。そのため市町村合併は近代日本のスタートから、社会システムの変化が求められる時に必ずテーマとして浮上してきました。簡単に市町村合併の歴史を振り返ってみましょう。
まず、近代国家の確立期である1889(明治22)年に「市制町村制」の施行にともない、約7万あったそれまでの村落共同体(自然村)は、小学校を設立・維持したり、徴税事務を行い戸籍を管理する、300〜500戸を標準規模とした約1万6千の市町村に再編されました。このときの旧村名は地方へ行くと字名に残っています。結果として団体数は約5分の1となり「明治の大合併」と呼ばれています。その後、都市化が進んだ大正期や戦時期にも合併が行われましたが、2度目の大合併といえるのは1955(昭和30)年前後に行われた「昭和の大合併」です。門真市もこのときに門真町に大和田、四宮、三ツ島の3か村が編入合併され、現在の市域ができたのです。
戦後、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、社会福祉、保健衛生関係の新しい事務が市町村の事務とされ、行政事務の能率的処理のためには規模の拡大による合理化が必要とされました。1953(昭和28)年の町村合併促進法(第3条「町村はおおむね、8000人以上の住民を有するのを標準」)及びこれに続く1956(昭和31)年の新市町村建設促進法により、「町村数を約3分の1に減少することを目途」とする町村合併促進基本計画(昭28年10月30日閣議決定)の達成を図ったもので、次第に都道府県と政府一体の強制合併の色彩が濃くなっていきました。その過程の中で、これまで一体であった村が二分されて合併したり(分村)、そのために地域の中での紛争が激しくなるなどの禍根を残したところもありました。1953(昭和28)年には286市と9582町村がありましたが、この合併の結果、1956(昭和31)年には498市と3477町村へ約6000の町村が統合されて、約200の市が新しく誕生することになりました。これが「昭和の大合併」です。ちなみに約8千人という数字は、新制中学校1校を効率的に設置管理していくために必要と考えられた人口とされています。
1965(昭和40)年には現在の合併特例法ができました。この合併特例法は合併の手続きなどを定めていますが、当初は昭和の大合併の反省の意味も込められていたため、あくまでも自主的合併、政府や都道府県はあくまでも合併の障害となるようなことを取り除く役目という立場でした。大阪では、1967(昭和42)年に布施、河内、枚岡の3市が合併して東大阪市が誕生するなど大型の合併がありましたが、全国的には昭和の大合併以降はさみだれ式に合併が起こるという程度で推移しました。
3.平成の合併
ところが1994(平成6)年第24次地方制度調査会が市町村の自主的合併の推進を答申し、これが今回の「平成の合併」ブームのスタートとなりました。その後、合併特例法は、1995(平成7)年と1999(平成11)年の2度改訂され、その都度、合併の優遇措置を拡大してきました。95年の改訂では、住民発議制度や合併協議会設置に関する規定が整備されましたが、95年合併特例法のもとでは、茨城県鹿嶋市、東京都あきる野市、兵庫県篠山市の3例しか合併が実現しませんでした。そのため、政府・自治省は、99年再び合併特例法を改正し、財政措置やそれまでの合併事例を参考にして、10年間の地方交付税の合併算定替えと合併特例債の創設という財政優遇措置や、地域審議会といった制度を新たに盛り込みました。2000年の12月には与党の行財政改革推進協議会は市町村合併後の目標の自治体数を1000とする方針を決定し、これまで自主的合併を建前として数値目標を明らかにしなかった方針を転換し、政府・総務省主導を隠さなくなってきたのはこのころでした。都道府県も合併の先導役として使われてきました。2001年までに全都道府県の合併推進要綱が策定され、その中で市町村の組み合わせのパターンを示しています。大阪府が2000年12月に策定した「市町村合併推進要綱」では、北河内地区で6つの合併パターンを示していますが、そのうち、門真市、守口市が関係するものは3つです。第1に門真市と守口市が合併するパターンで、特例市を目指すことが合併の効果とされています。第2は、門真市、守口市と寝屋川市の3市合併のパターンで人口の合計は50万人を超え、中核市への移行が可能としています。第3のパターンは門真市、守口市、大東市、四条畷市の4市合併で、こちらも人口は約50万人となり、中核市への移行が視野に入っています。くすのき広域連合を構成する3市が含まれるという前提条件と淀川から生駒山系までの多様な地域での総合行政がメリットとしてあげられています。
2001年3月には、各都道府県に市町村合併支援本部を設置すること、合併重点支援地域を指定するよう要請が出され、各省庁でも特別交付金などを使い合併支援事業を展開することになりました。また合併を推進する全国的な民間団体「21世紀の市町村合併を考える国民協議会」が設立されたのもこのころです。6月には「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」が閣議決定されます。いわゆる小泉「骨太改革」といわれるものです。この中で「自主的合併」という文言はすでに見あたらず、「自立しうる自治体」を作るために「市町村合併や広域行政をより強力に推進し、目途を立て速やかな市町村の再編を促す」との立場を明確にしています。それ以降、各地で合併協議会が立ち上がり、冒頭に述べたように全国で約7割もの自治体が何らかの形で合併の検討を始めるという一種異様な事態が現れています。
4.市町村合併を考える視点
(1)合併は住民の意思で
それでは、この市町村合併、どのように考えればいいのでしょうか。まず大前提として、住民自身の自主的な判断にゆだねられる必要があるということです。その意味で、合併特例法は、そのような判断を妨げる内容をもっていることに十分注意する必要があります。つまり、「合併をすること」だけを優遇する措置を含んでいると言うことです。合併特例債や交付税の算定替えといった財政措置もそうですし、住民の意思を反映する制度であるはずの住民発議制度も、「合併に賛成する」立場でないと利用できないようになっています。
となると、せっかくそのような制度があるのだから利用できるうちに、と判断をゆがめる結果となります。地域のまちづくりのために本当に必要な合併であると判断するのであれば、それは、期限があってそれまでなら優遇措置が利用できる、という枠組みとは別のところで進めるべきではないでしょうか。
市町村合併ほど情報公開と住民参加が重要なテーマもありません。合併特例法では、「合併推進」の側からのみ利用できる住民発議制度がありますが、情報公開と市民の対話に基づく住民参加制度は全く不備です。これまでの合併例でも、合併のプロセスについて広報による事後報告のみで、協議会そのものが非公開であった事例も少なくありません。このような場合、合併後に住民の間で、不満が残るという結果になります。行政が合併のための研究会や合併協議会を発足した場合、徹底した情報公開と住民参加の制度をあらかじめ設計しておくことが必要です。埼玉県上尾市や滋賀県米原町などで行われ注目を集めている住民投票も、その過程で市民シンポジウムを重ねるなど、市民の対話を促す仕掛けが組合わさった場合には有効な方法だと思われます。
(2)生活圏の広域化と合併
では、いまなぜ合併なのでしょうか。総務省が主張している合併の必要性・効果をみてみましょう。政府・総務省や大阪府が主張している合併の必要性や効果をまとめると次のようなことになります。順次検討していきます。
まず、生活圏の広域化ということです。自動車交通の発達などで日常生活圏が拡大していて、市町村の行政区域を遙かに超えてしまっている。広域的な行政課題を解決するためには合併による自治体の広域化が必要だという論理です。
この論理でいけば、門真と守口の合併は中途半端、北河内とか大阪市との合併ということでなければ、この論理の求める合併にはなりません。
そうではなくて、この論理そのものに問題があります。日常生活の要求が地域で満たせないのであれば、そのこと自体がまちづくりの課題なのであって、合併によって解決を図るのは本末転倒です。また、生活圏の広域化という話ですが、これも特定の住民層、つまり自家用車をもった主に男性の人たちの話であって、まちづくり研究会が昨年行った地域団体ヒヤリングでも、身近なところに保育所がほしい、近所で買い物のニーズが満たせない、などもっと身近な範囲でのまちづくりを求める声が多数です。特に、自家用車をもたない高齢者、女性、子どもにとっては歩いていける範囲の、せいぜい自転車で行ける範囲のまちづくりが重要です。なんでも自動車で出かけなければならない地域ではなく、生活の基本的なニーズは身近な範囲で間に合う、そのような方向性が大事です。そして、そのためには地域のニーズにきめ細かく対応した行政が必要で、行政が目配せできる範囲には自ずと限界があるはずです。
一方広域的に対応する必要がある行政分野も存在します。道路行政や環境行政などですが、これらについては、広域行政の仕組みを活用するべきですし、それでもうまく解決がはかることができない場合は、それは本来、大阪府の仕事であるというのが地方自治の原則ではないでしょうか。なお、広域行政は決定が遅い、責任不明確などといった批判があります。しかし、それは広域行政の議員を直接選挙で選出できるような規定があるにもかかわらず、それを利用していないなど、意思決定を合理的に行う制度をフル活用していないなど運用上の面も大きいのです。広域的課題については、合併の前にもっと活用できる方法を試してみてからでも遅くはありません。
(3)行政サービスの高度化・専門化と合併
第2は、合併すれば専門的な職員を配置でき、より高度できめ細かな行政ができるという話です。確かにそのような面はありますが、より高度できめ細かな行政に対するニーズは合併せずに規模が小さいままであっても生じます。規模が大きくなったから対応できるようになりましたというのは行政サービスを供給する側の論理でしかありません。新しい職員を採用するとか、事務事業の見直しなどで、住民のニーズに対応していく必要があります。まちづくりや高齢者福祉などのテーマで優れた行政を行っているのはむしろ小さな自治体です。
特に、門真市と守口市のように、ある程度の規模と財政力を持ったよく似た規模の自治体が2つ合併しただけで、なにか新しく高度な行政が可能になるようなことは考えにくいのではないでしょうか。また北河内7市では、協議会を作って、夜間救急や二次医療などの高度な医療に対応しています。逆に守口と門真が合併した場合、夜間救急や二次医療を単独でできなければ、この分野での合併の効果はゼロと言うことになります。逆にできるとしても、7市で行うのと合併市単独とどちらが効率的でしょうか。専門的な行政も、自治体の独立性を保持した形の広域連携で対応できるのではないでしょうか。
(4)財政危機と合併
第3に、このままいけば、市町村の財政はどこも破綻するので、合併することによって効率化をはかり、財政危機を回避する、というものです。
しかし、合併によって財政の改善ができるかというと、答えはNOです。まず、この合併の財政優遇措置の目玉である合併特例債は、合併に伴う建設事業の95%を起債でき、そのうちの7割を交付税措置するというものですが、3割は後年の市民負担となります。また合併特例債は、主たる対象が建設事業に限られており、行政ニーズが拡大している保育や福祉といった人的サービスの部分が充実できるわけではありません。現在の地方自治体の財政悪化の大きな原因がバブルの時のハコモノ行政にあったのは明らかであり、合併特例債目当ての合併ではその愚を繰り返すことになってしまいます。
また、合併しなければ地方交付税が減額されるということも、合併推進自治体の考え方になっています。しかし、地方交付税制度は、会計の赤字など、それ自体大きな問題を抱えているのであり、これは合併とは切り離して考えるべきです。これは、合併推進派の学者も言っています。つまり地方交付税が減額されることは、合併とは無関係に、ありうる話ということです。合併算定替えは、合併前の額を保障しているのではなく、合併前の自治体があるものとして計算すると言っているだけであり、しかもそれも激変緩和措置も含めて15年で終わります。地方交付税制度を含めた地方行財政制度全体の抜本的な改革がなければ、この先合併してもしなくても、地方交付税は大幅な減額を迫られます。
(5)合併と効率化
また、合併して組織が大きくなれば規模の経済が働いて、行政効率が高まるということも合併の理由の一つとしてあげられます。
しかし、地方自治体の役割は「サービス供給」だけにあるのではなく、住民自治の実践の場という役割もあります。また行政サービスの内容も多様であり、効率と一口に言っても何に視点をおくかによって「効率的な規模」は変化します。愛知県の市町村合併推進要綱検討委員会は提言の中で、すべての面において効率的な規模というのは存在しないとしています。その上で、財政の面から見れば10-20万人、特別養護老人ホームの運営には約2万人、ゴミ発電が可能なゴミ処理場の運転には約25万人という具合に視点によって異なる効率的規模を示しています。合併の推進の立場からは、より大きな単位に合わせることで、単一の自治体で意思決定し執行できる範囲が大きくなり、効率的だということになりますが果たしてそうでしょうか。
一般に単位を大きくして、同一のサービスを行おうとすると、逆に不効率が生じます。規模を大きくすれば効率的ということではなくて、それぞれの観点で効率的な規模は違うのですから、意思決定や執行をそれぞれの単位に分権化したり広域化していくことによって、つまり組織の柔軟性を高めることで効率化をはかるという考え方もあります。実際、フランスやアメリカの地方自治体は、合併ではなく、自治体の中で分権化したり、多種多様な自治体間の連携で、効率的な行財政運営を実現しています。
それから、合併すれば、職員が大幅に減り行政が効率化するということもいわれます。この点について、首長や助役といった特別職ポストや議員、管理職ポストについては一定そのようなことが言えるかもしれません。しかし、合併しても行政ニーズそのものは減るわけではありません。もし合併を理由として職員を減らすとすれば、行政水準は明らかに低下することになり、市民から見ると合併のデメリットになってしまいます。過去の合併事例では、合併前の「サービスは高い方に、負担は低い方に合わせる」という約束が、合併後の「行財政改革」によって見直され、職員削減の方針によって住民サービスが大幅に低下したという例もあります。「サービスは高い方に、負担は低い方に」という方針は、新たな財政負担を生むからです。合併の最大の効果は職員削減にあるとする「合併=究極のリストラ」論によって、合併が大幅な行政水準の低下をもたらすのであれば、合併とは一体何なのでしょうか。
5.おわりに
最後に、もう一度合併を考えるときの基本的な考え方を整理しておわりにしたいと思います。第一は、合併は地方自治の根本問題であり十分な住民の議論と合意に基づいて行われる必要があります。期限が迫っているから、我が町だけが取り残されるからというような理由で進めてよいものではありません。合併の研究会や協議会を始めるときには十分な情報公開と住民意思の反映をどの時点でどのような方法で行うかを明確にすることが最低限必要です。第二は、大きくなれば自治の力が増すというのは、必ずしもそうではない。むしろ、町の将来についての構想力が重要なのであって、将来どのようなまちづくりを行うかというビジョンや、そのための独自の活動がなければ、合併をしたところで、町がよくなるはずがありません。第三に、これからのまちづくりのテーマの解決に合併による規模の拡大がかならずしもプラスに働かないのではないかという点です。これは、住民の目線と行政の目線が大きくずれている場合に問題になります。ハコモノづくりを進めたり、開発を進めるためには現在の市町村合併に伴う様々の措置は手厚い配慮がなされていますが、高齢者福祉のケアや、子育てのための政策など人的サービスには合併の諸措置はほとんど配慮をしていません。逆に過去の例から見ても、合併を究極の自治体リストラと見る立場から、このようなサービスは次々と切り捨ての憂き目にあってきたというのが実情だと言えます。第四に合併は財政問題の解決にならないばかりか、より悪化させる結果になりかねないと言うことです。これは、合併特例法の財政措置が負担を先送りにするという性格を基本的にもっているからです。
合併問題は私たちの町の将来を決める大変重要な意思決定です。情報公開と、市民に開かれた議論、そして住民の意思を反映した判断が求められています。
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