約束の地 行っておいで

門真の写真家 長島義明 「再びアフガンへ」

   2008年11月9日付「朝日新聞」より

 

31年前にアフガニスタンで撮影した作品を示す長島義明さん(右)と佐藤功さん(左から3人目)ら仲間たち=大阪府門真市、松谷常弘撮影

 

 大阪府門真市の写真家長島義明さん(66)が31年前にアフガニスタンで撮影した写真の子どもたちに再会する夢を追っている。知人ら十数人がそんな夢を後押ししようと勝手連を作った。「自分探しの旅だから」と経済的援助は断っていた長島さんも、東京の出版社から写真集「アフガンからの風」を出版する話が決まり、情熱が再燃した。来春、アフガンの美しかった山村にあの日の子どもたちの笑顔を探しに出かける。 (佐藤修史)

 街に群れる白いハト、農場を縫う古代の水路、人々の笑顔……。長島さんが最初に訪問した77年当時、アフガンは若い旅行者のあこがれの的だった。

 9・11テロを受けて米国が01年10月にアフガン空爆を開始。現地の被害を伝える映像に長島さんは強いショックを受けた。当時のフィルムを探し、同年10月末から、東京で写真展「平和だった頃のアフガニスタン」を開いた。各地から、巡回展の依頼が相次いだ。

 同年末に大阪で開いた写真展で、当時は府立門真西高校で日本史を教えていた佐藤功さん(48)=大阪市=に声をかけられた。長島さんは佐藤さんから頼まれ、翌年1月、同校の3年生約240人にスライドを見せながら、「アフガンは戦争の国、怖い、暗いというイメージは一つの側面でしかない」と訴えた。

 今春、大阪であった個展で長島さんは「実はこれが心残りなんや」と言って、佐藤さんに1枚の写真を見せた。

 子ども約30人が笑顔で手を振っていた。31年前にアフガンの山村で写した1コマだった。長島さんは「『現像して、またここに来るから』と言った約束が、果たせんままや。最近はろくに収入もなく、家も売ろうかと。もう引退や」と打ち明けた。

  知人ら十数人「勝手蓮」

 佐藤さんは「おもろい写真家がおるから」と、知人らに呼びかけた。5月中旬、保育園理事、百貨店社員、農業者ら十数人が集まった。長島さんが、アフガンを再訪して写真の子どもたちを探す構想を話し始めると、真摯(しんし)な話しぶりに皆、引き込まれた。「写真家の個人的な夢を応援する勝手連」として、「長島義明をアフガニスタンへ行かす会」(イカス会)が発足した。支援方法を考えるうち、東京の出版社から写真集を出す話も決まった。

 今秋のアフガン入りを計画していた矢先、現地で援助活動をしていた「ペシャワール会」の伊藤和也さん(当時31)が殺害された。専門家から「今は危険だ」と言われ、計画は来春への延期を余儀なくされた。

 今月1日夜、門真市の居酒屋でイカス会のメンバーに囲まれた長島さんは「空爆後も田舎はそんなに変わってないと思う。それを確認するためにも行きたい」と話した。「本当は人に頼りたくなかった。でもうれしいね、仲間ができて」