第4回
門真市内出土の正月の遊び道具について
宇治原 靖泰 (市史編さん課)

毬打ちをする人(『鳥獣戯画』より)と毬打ちの木球
(門真市教育委員会 所蔵)

 普賢寺遺跡(幸福町)と西三荘遺跡(大学門真)で鎌倉・室町時代の直径5cmほどの木製の球が合わせて3個出土しています。これは毬打(「ぎっちょう」と読みます)という遊びの木球で、源平時代には京都で盛んにおこなわれていました。
 毬打は現在のゲートボールに似た遊びで、毬を打杖で打って毬門に入れて勝敗を争うものでした。そしてこれは京都では正月中の遊びで、「徒然草」では、さぎちょうは正月に打ったぎっきょうを真言院から神泉院へ出して焼く行事だといっています。
 京都を中心にして畿内では、1月15日に正月のしめ縄・松飾りなどを焼く行事を左義長と呼んでいるところが多いですが、このことは、この遊びがいかに盛んであったかを物語るものです。



宇治原 靖泰さん プロフィール

1957(昭和32)年4月12日生まれ、滋賀県彦根市出身、奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業、大阪府教育委員会、東大阪市文化財協会を経て、昭和60年より現職。(うじはら やすひろ)


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