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「住民自治の発揮で撤回させた合併強行 ― 富田林からのレポート」

富田林の合併とまちづくりを考える会  奧宮 直樹

はじめに・・・「平成の大合併」と言うけれど

全国的に「市町村合併」は、財界と政府の思惑通りにはけっして進んでいない。「富田林市・太子町・河南町・千早赤阪村」の合併問題も「うまく進んでいない」一つの例。
 当局が、「合併のチャンスは、来年4月しかない」と強引に進めてきた「来年4月合併」の期日が、世論と運動の広がりにより白紙撤回。



(1)4市町村の「合併」の問題点

1.徹底した住民そっちのけ
 具体的に「富田林市と3町村が、来年4月に対等合併する」ことが知らされたのは、7月1日付けの「富田林広報」だった。なんと、その日は合併協議会が設置された日。

2.超スピード「合併」
 当局の計画は、たった10回の協議を経て、9カ月後に合併(新市の発足)しようという超スピード。

3.「研究」にもない合併パターン
 2年前の大阪府のアンケートによれば、富田林市民が「合併するとしたら望む相手は」河内長野市・大阪狭山市・美原町の順であり、今回の太子・河南・千早赤阪の3町村は論外であった。南河内広域行政研究会の「研究」にも、4市町村の合併パターンは対象外だった。

4.無責任な「合併」
「交付税が減るから合併は避けられない」と言うだけで、合併後の街の将来の展望も示せないようでは住民は納得することはできない。

5.非民主的な手法
 合併協議会での協議が始まるまでは、「それは協議会で協議するから」とまともに答えず、イザ協議会になると、「それは後で」「それは新市になってから」と受け付けない。最後には、「強行採決」の連発。

6.メリットなくデメリットばかり
 当局がメリットとして挙げた点は、総務省のマニュアルと同じものと、それを机上で具体化したコンサルタント作成のもの。
 逆に、住民側からのデメリットは、営業や暮らし、子孫のいのちや生活、地域の環境などにわたり多数の点が挙げられた。「今、3町村と合併しても富田林にとっては何のメリットもない」というのが参加した住民の圧倒的多数の声だった。

7.その他
住民の利益よりも「首長や議員の都合」から合併を急ぐことの他に、「利権の問題」も。


(2)「合併とまちづくりを考える会」のとりくみ

1.最初は重かった
 「合併問題はピンと来ない」「難しくてわからない」「協議会が設置されたら何をしてもダメ」「どうせ合併されてしまうのでは」などの声が強かった。

2.やはり学習と「自分との関わり」
 すでに合併した市の現状を調査する中で、「平成の大合併という国のねらい」「憲法・地方自治と合併」などの基本な考え方がわかってきた。同時に、「もし合併したら、既得権はどうなるのか、要求や願いはどうなるのか」の論議が深まり、自分たちの営業と暮らしとの関わりで合併問題をとらえるようになってきた。

3.会の結成
 準備会がつくられ、「合併の是非は住民が決めるもの・ご一緒に考えましょう、富田林の将来を」のビラを全戸配布し、全市民に共同のとりくみをよびかけた。  6月7日に個人と十数団体からなる組織として「富田林の合併とまちづくりを考える会」が結成された。

4.具体的とりくみ、どっと住民の中へ
 3回の学習会とシンポジウム。4回の全戸配布や街頭宣伝。住民との対話。住民説明会用「質問・意見のマニュアル」を作成と発言者の組織。各層への申し入れ。


(3)「住民こそが主人公」の立場

1.「合併の是非は住民が決めること」
 「会」の基本的な立場は、国や自治体が富田林の合併の是非を決めてはならないというのはもちろん、「会」としても合併の是非を決めることはできないということである。
 合併の是非は、そこに住み税金を納めている住民が決めるものである。これが憲法・地方自治法に基づく「住民こそが主人公」の立場である。

2.「反対」でなく「なぜ知らせない」「なぜ急ぐ」
 従って、運動の入り口から「合併反対」とか「条件付き賛成」など、一つの方向にしぼるのではなく、賛成の人も反対の人も、決めかねている人も結集できる方向、即ち「なぜ知らせない」「なぜ急ぐ」という点を中心に合併問題を住民の立場から「考えていく」方向に徹した。

3.情報提供と住民の代弁者に
 住民が、深く考え正しく判断できるように、「国や府のねらい」や「全国の状況」、すべて傍聴した議会と合併協議会の様子、などの情報をどんどん提供した。  また、住民の代弁者として、市・府当局に対し「要望書」「申入書」を提出したり、合併問題の決着に絶大な影響力を持つ合併協議会の各委員(特に学識経験者)に対し、「街と子孫の将来に関わる合併について、住民の立場から真摯に協議されたい」旨の働きかけ(手紙・訪問)もした。

4. 決着は「住民投票で」
 「なぜ知らせない」「なぜ急ぐ」の声とともに、「合併の是非は住民投票で」の声は圧倒的に多い。そこで、「住民投票条例制定のための署名運動」も日程に入れ、弁護士さんによる学習会も持った。


(4) ついに(早くも)「来年4月合併」の破綻

 第5回合併協議会(8月22日)において、当局の側から「来年4月合併」の期日を撤回。第3回・4回の合併協議会における各委員の「住民の声を反映させた」意思表示と、特に、「このまま異常な協議を続け、合併期日をゴリ押しするなら退席する」という太子町議会の総意としての発言もあり、多数決の勝算がないとみた当局の判断で自ら撤回せざるをえなかった。


(5)とりくみの教訓

1.運動は幅広く
 一つは、「合併絶対反対」のスローガンではなく、「なぜ急ぐのか」「なぜ知らせないのか」という、圧倒的多数の住民が思っていることを正面に掲げてとりくんだこと。
 もう一つは、「合併の是非は住民自身が決めるもの」という立場を断固つらぬいたこと。当局はもちろん、「考える会」も合併の是非は決めるべきではない。

2.「受け身や敗北主義」の克服
 学習・討論を重ねる中で、また多くの住民から寄せられた共感と励ましの声が高まるにつれて、「こんな無茶なことが通るわけがない」「必ず撤回させることができる」と確信が持てるようになってきた。

3.法定合併協議会へのアクション
 合併協議会が設置されても、決してあきらめることなく、考えられる限りのとりくみを進めることが大切である。委員として論戦をリード、学識経験者の委員の変化。
 また、傍聴者の組織、ここぞと言うときに拍手やブーイング。傍聴記録をビラに。

4.マスコミを味方に
 何かのアクションごとに、「記者クラブ」に接触。また、取材にも進んで応じた。新聞報道と「会」のビラがよく似ていることが、多くの住民に知られて、運動を広がりやすくした。

5.関係町村の「会」との共同
 定期的に情報・とりくみの交流を行った。府への申し入れは共同でした。それぞれの状況や経過が違うので、すべて一致してとりくめないが、情報が豊かになり連帯感も。


(6)今後のとりくみ

1.まちづくりへの自覚が
 政府・財界による「開発型」でなく、住民の命とくらし・営業を守り、定住できるまちづくりをめざし、住民の声や願いを聞き、住民自身が担い手となるために、「会」として引き続き活動していきたい。

2.合併協議会は存続
 これしかないとあれほど固執した合併の時期が崩れたので、4市町村の合併そのものも崩壊しかないだろう。総務省や府の突き上げもあるだろうし、楽観は許されないが、来年春の市議選、市長選が終わり、たとえ合併に向け積極的に動き出したとしても、法期限に間に合うかも疑問である。
 もし、それでも最後まで強行してくれば、「住民投票条例」を制定させる道がある。そのときこそ住民の判断で決着がつけられるだろう。




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