門真の未来とまちづくりを考える市民の会for the future of Kadoma City...








「公開質問状に対する回答」

                                2005年5月20日

                                    河原林 昌樹

  
1.守口市との合併の是非を問う住民投票について
@ 住民投票の結果について

9月19日に実施された「門真市が守口市と合併することの是非を問う住民投票」は、残念ながら投票率が50%を超えなかったため開票しないこととされました。未来の会が実施した出口調査では、9割の方が反対票を入れていることが明らかになっています。
住民投票の結果をどう受けとめているのか、その結果を市政にどう生かすのかご見解をお聞かせください。

〔回答〕
門真市と同日に住民投票が実施された守口市では、5割を超える投票率を得て開票が行われました。その結果、9割近い市民が合併に反対していることが明らかとなりましたが、圧倒的な多数の市民が合併に反対という傾向は、門真市でも同様であると思います。
 多くの市民が合併に反対したのは、@中学校給食など市民サービスの多くが合併によって切り捨てられるのではないかという合併自体に対する不安を市民が抱いたこと、A合併後の新市の姿を明確にしないまま、市民の意向を問うことなく合併を強引に推し進めようとした市の姿勢に市民が反感を抱いたことにあると考えています。この教訓を市政に生かすこととは、まず何よりも市政に関する情報を広く市民に公開し、市民の要望や意見を市政に活かす、市民に開かれた市政を実現することにほかならないと考えます。そのためには、公報の充実やホームページの活用、タウンミーティングや市長室の公開などを通じて市民との対話の機会をもうけるなど、市民にとって風通しのよい市政の実現が是非とも必要であると考えています。どのような施策に取り組むにせよ、市民の意向を無視することは許されず、市民参加の実現こそ市政運営上最も重要な課題であり、ひいては住民の自治能力を向上させることにつながります。

A 住民投票の投票用紙の開示について
未来の会は住民投票の投票用紙の開示を求めましたが、門真市は条例で開票しないと定めているとして、「不公開」としました。また、異議申し立てをしましたが、これも棄却されました。
異議申し立てで申したとおり、同条例はすでに失効しており、合併協議会も解散し、開示したからといって合併協議に混乱を招きかねないという当初懸念された弊害が起こる余地はなく、「門真市情報公開条例8条は、開示請求された公文書に不開示情報が記録されている場合であっても、公益上特に必要があると認めるときは、当該公文書を開示できるとして公益上の理由による裁量的開示を認めて」おり、「その開示が地方自治の本旨や財政健全化といった公益上の理由から強く求められる」としています。
住民投票の投票用紙の開示について、ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
 その結果が法的拘束力を持たない諮問型にすぎない住民投票において投票率が一定の割合に達しない場合には開票しないという開票制限の取扱いを採用することはそもそもの制度趣旨に反するものと考えます。
 合併が白紙撤回された現在、住民投票の投票用紙を開示しても何の弊害も考えられません。むしろ多くの市民は、多額の費用をかけて実施された住民投票の結果を知りたいと強く希望しているものと思われ、住民投票の投票用紙の開示はその希望に添うものであり、ひいてはご指摘のとおり、地方自治の本旨や財政健全化にもつながるといえます。この場合、門真市情報公開条例8条を活用すれば、新たな条例を制定するまでもなく、住民投票の投票用紙を開示することは可能であると考えます。


2.市政運営について
@ 情報公開と市民参加について

市民不在のまま、合併について市民に説明責任を果たさず合併を進めてきたことによって合併が破綻したことを教訓にして、「情報公開と市民参加」を原則にして、市政運営をおこなうことを市政運営の基本にすべきだと考えます。ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
昨年の合併に関する住民投票では、投票者の大半が合併に反対の意思を示したものと理解しています。
多くの市民が合併に反対したのは、合併後の新市の姿が明らかにされず、住民サービスの将来像さえ不透明な中で合併を強引に推し進めようとした市の姿勢に市民が反感を抱いたからです。このような市民と行政とが対立した状況を克服するためには、市政に関する情報を市民に広く公開し、市民が市政運営に参加できる条件を整えることが不可欠であると考えます。ご指摘の「情報公開と市民参加」は市政運営の基本とすべきものであり、住民自治を実質化する不可欠の条件といえます。
実際に、「情報公開と市民参加」を実現する手だてとして考えられるのは、市のホームページを通じて予算案はもちろん政策決定過程の情報をも可能な限り積極的に開示すること、タウンミーティングや市長室の公開を通じて市民の要望や意見を市政運営に反映させていきたいと考えています。

A 市民団体との関係について
市政運営の基本として、市民参加がありますが、わたしども未来の会が懇談や話し合いを市長に申し入れた場合、その機会を設けられるのか否か、市民団体との関係についてご見解をお聞かせください。

〔回答〕
市民団体から懇談や話し合いの要望が出された場合、団体如何にかかわらず、時間の許す限り、その要望に応じたいと考えています。したがって、貴会から申し入れがあれば、もちろんそのご要望に応じる所存です。市民団体との懇談や話し合いは、市政に対する市民の要望や意見を聞く貴重な機会であり、市民参加の市政を実現する上で極めて重要なものであると考えています。
ただ、行政は中立性が求められるため、どの団体とも公平な関係を築くことが要請されることに留意しなければならないと思います。特定の団体との癒着やそのような疑念を招かないためにも市民団体とは一定の距離を置いた、緊張感のある関係が望ましいと考えます。

B 市政の基本姿勢について
行財政運営の基本を「住民の安全・健康・福祉の保持」におき、住民生活優先の福祉・医療・教育・まちづくりの充実と地域経済の民主的振興をすすめることだと考えます。市長に当選した際に取り組まれる最優先施策について具体的に、3点に絞ってお挙げください。

〔回答〕
 子育て支援策として、保育園の延長保育の実現、放課後児童健全育成事業(学童保育)の充実及び利用料負担の見直しを実現します。保育時間の僅かな延長が子育てと仕事の両立に悩む保護者の負担感をいささかでも軽減することができるものであれば、働き方が多様化した現在、保護者の要望に応えることが行政の責任であると考えます。そして、放課後児童健全育成児事業は全学年を対象とし、希望者全員を受け入れられる施設整備を進める必要があります。その際、すでに決められた利用料の負担について、その要否を含めて再検討したいと考えます。
教育分野では、30人学級を実現します。いま学校現場では学力低下や不登校などが問題になっていますが、これは生徒の個性や能力に応じた教育ができていない結果であると思われます。母子家庭などの経済的困窮家庭が多い門真は、むしろ家庭の教育力が弱い傾向にあり、生徒の人格形成にはたす学校教育の役割は一層重要です。教員が生徒一人ひとりに目の行き届いた教育を施すためには、現在の40人学級は生徒数が多すぎると思います。全学年での実施が不可能であれば、学校への不適応が起きやすい小学校低学年、中学校1年からまず順次実施すべきと考えます。
まちづくりの喫緊の課題は、下水道整備と浸水対策です。集中豪雨が起きただけで床下浸水し、下水が溢れ出る地域がいまだに十分な対策もなく放置されています。下水道は健康で文化的な生活を支える基礎的社会資本であり、早急に整備すべきものと考えます。また、浸水対策は一刻も放置することは許されない課題であると考えます。そして、第2京阪道路の建設に伴う抜本的な公害対策を国や道路公団に要望していきたいと考えています。

C 住民投票制度について
守口市との合併の是非を問う住民投票は直接請求によって条例制定がされました。全国では、広島県広島市・神奈川県大和市・愛知県高浜市などで、大阪でも岸和田市で常設型の住民投票制度を確立しています。常設型の住民投票制度についてご見解をお聞かせください。

〔回答〕
住民投票は、議会と首長とが対立した場合や議会だけで決することが不適当と考えられる重要な施策について住民に賛否を問い、市政運営に住民の意向を反映させようとするものです。その意味では、間接民主主義を補完する大変重要な制度であり、活用の仕方によっては市政の活性化に大きな役割を果たすことは間違いないと思います。しかし、住民投票はコストがかかるため、日常茶飯事に実施できるものではなく、いかなる施策をその対象とすべきかについては慎重な検討が必要です。また、住民投票を実施するための要件についても検討が必要ですが、常設型の住民投票条例を制定して、住民投票をどのような場合に実施すべきかを予め定めておくことは住民自治を促進する上からも有意義であると考えます。
住民投票については、議会軽視であるとの批判がしばしばなされますが、価値観の多様化した現代社会において、主権者である住民の最終的判断を仰ぐことは、民主主義にとってプラスになりこそすれ、マイナスになることはありません。この批判は、議会の特権的地位を確保しようとする、時代錯誤な認識に基づくものといえます。


D 地方自治の擁護・発展、「三位一体の改革」について
地方自治を擁護・発展させるために、それに反する圧力を跳ね返し、住民自治・団体自治の確立を貫くべきです。また、税財源の移譲がともなわない「三位一体の改革」に反対するとともに地方交付税率の引き上げ、国庫補助金削減にともなう超過負担の解消を国に働きかけることも必要だと考えます。ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
現在国が進めている「三位一体の改革」は、財政的裏づけを欠いた地方への責任の押し付けであり、地方分権を促すものにはなっていません。例えば、義務教育国庫負担金の削減、一般財源化は、ただでさえ苦しい地方財政に大きな混乱をもたらす要因となっています。一極集中の国土づくりと長期不況の下では、たとえ税源移譲が実現したとしても、地方の小規模自治体が財政的に自立していくことは容易なことではありません。その意味で、権限の移譲に相応しい財政措置(地方交付税率の引き上げなど)を国に対して強く要望していくことが何よりも重要であると考えます。

E 市民要求実現にむけて、全職員参加の庁内体制の確立について
全職員の英知を集め、全職員参加の庁内体制を確立することは、市民要求を把握して、計画的かつ民主的に運営していく上で必要だと考えます。ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
市役所の職員は皆、市民生活の向上やよりよい町づくりに意欲を持って職務に精励されているはずです。そして、直接市民と接する機会の多い職員こそ、市政に対する市民の要望や意見を把握できる立場にあり、職員の意見を行政運営に活かすことは、市民に開かれた市政運営を実現する上でも不可欠なものといえます。門真市でも行財政改革は避けて通ることができないものと思われますが、行財政改革が市民サービスを向上させる契機とするためにも職員一丸となった取り組みが不可欠です。
職員から出された知恵や工夫を活かすためには、行政組織自体が風通しのよいものになっていなければなりません。そのような組織運営を実現するためには、職場での上下関係に関わることなく、自由にものが言える職場の雰囲気を作り出すこと、職員の意見が行政運営に反省されるような機会を設けることが大事ではないかと考えます。そのためには、例えば、職場内のネットワーク化、首長も交えた職場討論会の実施、さらには適材適所の人事配置などが有効なのではないでしょうか。

3.行財政改革について
@ 行財政改革の進め方について

門真市では、財政再建を目的にして、5月中旬には「行財政改革推進計画」(素案)を作成、7月中旬には市としての「行財政改革推進計画」を作成し市議会へ提示する一方、緊急の課題については同推進本部で決定・実施もおこなうとしています。しかしながら、行財政改革推進懇話会の公開については委員から忌憚のない意見を出してもらうため非公開とする、計画策定段階での市民への説明、意見聴取については現在のところ考えていないなど「情報公開と市民参加」の点では大きな問題があります。今の門真市の財政状況を市民に明らかにして、多くの市民が参加して将来の門真市のまちづくりプランを策定し、必要な行財政の見直しをし、市民負担についても市民の理解を得ながら進めていくことが重要と考えます。
行財政改革推進懇話会の公開、「行財政改革推進計画」の策定段階での市民への説明、意見聴取について、ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
行財政改革は市と市民との関係に大きな変化をもたらす可能性があります。市民サービスの見直しや市民負担の検討など市民生活に直接影響を及ぼすことにもなりかねません。市民こそ行財政改革に最も大きな利害関係を有する立場にあるといえ、市民参加を経ない行財政改革はあり得ないと考えます。したがって、行政にとって有利不利にかかわらず、いまの市の財政状況について余すところなく情報を公開し、多くの市民から要望や意見を募り、それを行財政改革の計画策定に反映させるべきであると考えています。
このような観点から見ると、現在市が進めている行財政改革は、情報公開や市民参加の点でまだまだ不十分であるといわざるを得ません。ご指摘の、行財政改革推進懇話会の公開や「行財政改革推進計画」の策定段階での市民への説明、意見聴取はもちろん実施すべきと考えます。行財政改革はまちづくりと一体のものであり、市民参加でまちづくりに取り組むことが行財政改革を成功させる秘訣でもあります。

A 市民負担や行政の民間委託や民営化などについて
 行財政計画の策定にあたって、福祉や教育、市民生活などの分野で市民負担の増大、行政の民間委託や民営化などが予想されます。市民負担や行政の民間委託や民営化についてのご見解をお聞かせください。
 また、市民負担や行政の民間委託や民営化を進めるにしても、関係する市民や団体に対して、話し合いや説明会などをおこない、十分な説明責任を果たすことは、最低の条件としておこなわなければならないと考えますが、ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
JR宝塚線の列車脱線事故にも見られるとおり、利益追及を主体とした民間企業は得てして利用者の安全を軽視する傾向が見受けられます。行政の担っている仕事の中には、民間には絶対なじまないものもあれば、民間でも処理可能なものもあります。しかし、民間で処理可能な仕事であるからといって、そのすべてを民間に委ねることが妥当なことなのかどうかは慎重に検討する必要があります。
行政サービスの民間委託や民営化の是非を検討する上で重要なことは、財政負担の問題だけではなく、民間委託や民営化によって市民サービスの質や内容がどのような影響を受けるかといったことも考慮に入れる必要があります。民間委託や民営化が市の財政負担を軽減する効果があったとしても、その結果市民サービスの質が低下したり、その内容が縮小したりするようでは民間委託や民営化をした意味がありません。
そのようなことにならないよう行政サービスの民間委託や民営化の是非は慎重に検討する必要があり、その際、市民の要望や意見を募ることはもちろん、関係する市民や団体との話し合いの機会をもうけるなどして市民参加の議論を経たうえで決めるのが望ましいと考えています。場合によっては、住民投票で市民の意向を確認することも必要かもしれません。

4.平和・民主主義について
@ 非核・平和の取り組みについて

門真市は非核平和都市宣言を1983年(昭和58年)10月4日に議決していますが、具体的にどのような施策を考えているのかお聞かせください。

〔回答〕
核拡散防止条約(NPT)は、核保有国の特権的地位を認め、核保有国と非核保有国との対立を生み出し、かならずしも核拡散防止に十分な成果を上げているとはいえません。核の問題は、本来国家間の問題であり、地方自治体が核拡散防止あるいは核兵器廃絶に向けて担える役割は限られているとはいえ、核による被害を受けるのは市民なのです。市は、市民の生命や暮らしを守る責任を負う立場から、国に対して、核兵器廃絶に向けて必要な行動をとるよう要望していくことが重要であると考えます。NPT体制の強化、核兵器廃絶に向けた核保有国への働きかけ、そして非核三原則の堅持などを国に強く要望していきたいと思います。

A 憲法について
過去5年間の議論を経て衆参両院で憲法調査会の最終報告書をまとめました。憲法9条を変えることの是非について、ご見解をお聞かせください。
 
〔回答〕
憲法9条は、過去の侵略戦争に対する反省の上に立って制定されたもので、二度と他国を武力行使しないための制度的保障として戦力の不保持を宣言したものです。現実に適合しなくなったことが憲法改正の理由とされていますが、自衛隊の海外での武力行使を求める声はありません。むしろ、中国や韓国などアジアの近隣諸国からは歴史認識や戦争責任の問題について批判の声が強く、自衛隊の海外での武力行使に対する警戒感が逆に高まっています。
憲法9条の改正は、自衛隊の海外での武力行使を目指したものですが、戦後の平和国家の理念を事実上放棄するものです。現在、小泉首相の靖国参拝が国際的にも大きな問題になっていますが、戦争責任を曖昧にして戦没者をすべて「英霊」として祀る靖国神社への首相の参拝は、政教分離の原則に違反するだけでなく、戦前の日本がそうであったように、武力行使を正当化する論理の現れにほかならないのです。このような論理を放棄したのが憲法9条であり、その憲法9条を改正することは、まさしく戦後日本の礎を崩すものであり、容認できることではありません。
国際社会への貢献は、NPOやNGOの活躍に見られるように、かならずしも武力行使を必要とするものではありません。むしろ武力行使を伴わない活動を通じてこそ国際平和の実現に貢献できるものと考えています。

B 「日の丸」「君が代」について
小中学校での入学式・卒業式での「日の丸」「君が代」の取り扱いについて、新聞などで問題になっていますが、ご見解をお聞かせください。

〔回答〕
「日の丸」「君が代」は国旗・国歌法の制定により法的根拠を得ましたが、わが国の過去の歴史的においてそれらが果たした役割を考えた場合、複雑な思いを抱く人々も少なくありません。このように「日の丸」「君が代」がわが国の過去の歴史と深く結びついており、わが国の過去の歴史に対する評価もかならずしも国民の間で一致していないことを考えると、法的根拠を得たからといって、「日の丸」「君が代」をわが国の国旗・国歌として受け入れたくないと考える人々にまで強要することは許されないはずです。このことは、個人の内心の自由にかかわることであって、交通ルールとして左側通行を強制することとは本質的に異なるものです。
学校現場において、「君が代」「日の丸」の意義や歴史を教育活動の一環として子供たちに教授することは大変重要なことだと考えますが、入学式や卒業式において「日の丸」への敬意や「君が代」斉唱時の起立を事実上強制することは独立した人格の育成を目的とした教育活動とは根本的に相反するものです。
「日の丸」「君が代」を尊重することを教員に求めることは、職務命令として許容されるかのような考え方もあるようですが、教員にも内心の自由は保障されており、制裁措置を後ろ盾に内心に反する行為を強制することは憲法違反の疑いを免れません。しかも、教員に対する強制は生徒の内心にも大きな影響を及ぼすものであり、むしろ生徒たちに対する教育的配慮を欠くものです。
そもそも、「日の丸」「君が代」に対する態度は、学校行事を通じて形成されるようなものではなく、家庭や地域社会での多様な人的接触を通じて徐々に形成されるものであり、教育の名の下に学校で「日の丸」「君が代」を押し付けるべきものではないと考えます。

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