みなさん、こんにちは!今回僕はNPT(核不拡散条約)再検討会議NY行動の門真市職労の代表として、4泊6日の強行日程で渡米してきました。いろんな事があったので、ここで報告させていただきたいと思います!
出発 2010.5.1
NY初日 2010.5.2
NY二日目 2010.5.3
NY三日目 2010.5.4
最終日そして帰国 2010.5.5
あとがき
署名の後、セントラルパークで記念撮影
タイムズスクエアです
NPT再検討会議in
NEW YORK
自由の女神は単3電池
だったケド
出発 2010.5.1
当日は午後2時に関西国際空港に集合だったのだが、大事をとって12時過ぎには空港に到着した。時間が余りたおしたので、見送りに来てくれた奇跡のナイスガイたち(納税課のM山君と難B君)と食事をとる。
さすがに、僕も初めての海外渡航で緊張していたので、「飛行機落ちひんか心配やわー」と打ち明けたところ、
M 「たぶん、落ちひんやろぅー!たぶんやぞ! そんなことより、このオムライスうまっ!」
難 「落ちたら、落ちたときっす! そんなことより、早くオムライスの話がしたいっす!」
などと、飛行機恐怖者に対する配慮を著しく欠いた0点回答が返ってきて、若干、ブルーに…。
オムライスを食した後、「飛行機の中は絶望的に暇や! 本を買うべきやろぅ!」「そうっす! 本っす! あと、オムライスは素晴らしいっす!」という二人の助言を信じて、空港内のTSUTAYAへ。僕が小説コーナーを見ていると、別のコーナーでM山も難Bも神妙な面持ちで本を探してくれている。
「コレしかないやろぅ!」とM山が呼ぶので見てみると手に「月刊ベースボール」を持っている。「アメリカは野球大国やろぅ! ヒデキマツイやろぅ! シゲトシハセガワやろぅ!」…僕は野球にまったく興味がない。その上に、雑誌はかさばるから、カバンに優しくない。あと、長谷川はもういない。このチョイス完全に空振りである。丁重に断る。と、そこへ難B。「山下さん、やはり機内でも勉強すべきっす!」といって真剣な顔で「論語」を持って来る。機内で中国哲学に目覚める奴を見た事があるのだろうか。とりあえず「シェイシェイ」と言っておいた。
さて、最終的にTSUTAYAでは安定感に定評のある作家、東野圭吾の「魔球」を購入。「野球ははずせへんやろぅ! なんせシゲトシハセ(以下略)」というM山のゴリ押しに負けた形になった。こんなやりとりを続けている間に代表団の集合時間になったので、二人との珍道中は終わる。「じゃあ、行ってくるわ。」と僕が言うと「気をつけていくといいやろぅ!」「体が資本っす!」と言い、風のように去っていった、口元にケチャップをつけたまま。ええ感じの奴らである。
行きの飛行機はつらかった…。
まず、経由先のサンフランシスコに着くまですることが無い。乱気流に巻き込まれると、落ちないか不安。
また、門真代表は一人なので、知り合いがいない。後ろの席と通路を挟んで横の席は、H市やT市の保育士(♀)さんたちで「楽しみよねーキャピキャピ!」「五番街で買い物するキャピキャピ」「キャピ、ブロードウェイ、キャピ」「自由のキャピ女キャ神ピ」などとかなりキャピキャピ感満載なので、人見知りの僕がなじめるはずがない。
さらにエコノミークラスのほぼ直角のシートは、何か敵意のある矯正器具のようで、コレに10時間座るのはもはや修行だと思った。確かに、この状況で「論語」を読めば、どえらい心境の変化がおきそうである。難B疑ってすまん。
そして、僕は海外旅行の経験が無いので、知らなかったのだが、ユナイテッド航空のCAの無愛想なこと…。あのふてぶてしさは仕事を罰ゲームと勘違いしているとしか思えない。
かなり四面楚歌の状態だったが、隣の席がもともと知り合いである、M市の若きイケメン、ハジメ君だったので少し助かった。ハジメ君に本屋で「魔球」を買った、という話をすると、実はハジメ君、野球小僧であった事が判明! 「時に、山下さん、コレ読みますか?」と言って、パンパンに膨らんだカバンから取り出した本はまさかの「月刊ベースボール」だった。…このチョイス完全に空振りである。飛行機が墜落することを怖れている人間に対して「最近、凄まじい落ち方をするダルビッシュのフォークボール特集」は無いだろう…。そんなわけで、後は「魔球」を読むか寝るかしてサンフランシスコに着いた。
サンフランシスコの再難関は入国手続きだった。最近、テロなどの警戒から、アメリカの入国審査はとても厳しくなっている。対応する職員も尋常じゃなく高圧的だった。長期休暇なのでヒゲもじゃにしていた僕はここで圧倒的不利に立たされる。
関空からの機内で、CAから入国用の書類が配られたのだが、そういえば皆が白い用紙をもらう中、一人だけわけのわからない色の用紙を配られた。「スチューデント」しか聞き取れなかったので、真実の程は定かではないが、独特のヒゲもじゃ感のせいで中東からの留学生に間違えられたようである。おかしいと思い、「罰ゲームのノリ」で仕事をしているCAを問い詰めたところ「アイキャントスピーク ジャパニーズ」的なことを言って、0.5秒で会話を放棄。仕方なく泣き寝入りしていた。
その書類の書き直しを入国管理官に命じられ、大幅にタイムロス。まあ、まちがった書類、かつヒゲもじゃなら言い訳不能である。こんなしょうもないことでタイムロスしていて、皆に申し訳ないと思ったら、ハジメはさらに下手をこいており、管理官の「何ノタメニ、アメリカ来タノカ?」という問いに「パレード! パレード! 核反対!」などとわけのわからない回答をした挙句、なぜかベトナム人と間違えられ、ここで脱落。
時間は5時間ほどなのだが、サンフランシスコからNYのニューアーク空港(名前がややこしい。ニューヨークなのになぜかニューアーク)までも苦痛が凄かった。関空〜サンフランシスコは隣に、たかがベースボーラーハジメとはいえ知り合いがいたからよかったのだが、今回は三人掛けで、両隣外国人である。しかも、飛行機が離陸した瞬間から尿意を催していたのだが、人見知り対外国人では結果は目に見えている。声はかけづらい。絶体絶命。しかも、通路側の外国人はハシでネギトロまきを食っている。ただの外国人ではない「ハシでネギトロまきを食っている」外国人である。かなりの日本通である事が予想され、トイレに行こうとして下手に「エクスキューズミー」と言ったが最後、「ヤハリ、フジヤマハ、山梨側ガ、ウツクシイデスネ」「キョウトニイクノニ、第二京阪ヲ使ウ必要ガアリマスカ?」などとディープな日本の話を振られつづけ、小便を漏らしてしまうことは間違いない。ここは無視するのが得策と判断し、尿意はなかった事にして、「魔球」を集中して読む。ここで「魔球」を読破。膀胱が限界に達する瞬間、ニューアーク空港に到着。隣のネギトロニューヨーカーが席を立ったと同時にトイレにダッシュ。ことなきを得る。しかしこの事件であせりすぎたせいで、「魔球」を機内に忘れてしまった。
そのことを空港からホテルまでのバスの中でハジメ(いつの間にかフェニックスのように復活)に話したところ「魔球だけに、消えてしまったのです」とのこと。肘を軽くライターで燃やしておきました。
宿泊するウェリントンホテルに着いたらもう、深夜。なんと、タイムズスクエアでテロ騒ぎが! こわ! この夜はデリカテッセン(軽いレストランのようなもの)で軽く飲む。チップのややこしさにウンザリする。そして、寝る。顔中ピアスだらけの男にからまれる珍事件もありましたがそれは割愛。
NY初日 2010.5.2 トップへ
やっと活動開始。9時30分から11時すぎまで署名活動。場所はかの有名なセントラルパーク。ジョギングしている人がたくさん(皇居や大阪城の周りを走っている外国人はセントラルパークを思い出して走ってるのかな?)。アメリカ人は結構ノリがよく、署名をしてくれる。キャピキャピの保育士集団が「サインプリーズ、キャピキャピ」とやると男性中心に署名が集まる。やはり男子の気質は万国共通。
負けじと僕もニューヨーカーに「サインプリーズ!」…無視。気をとりなおして「サインプリーズ!」…無視。「サインプリ…」無視。…泣くわ! ええそりゃ仕方ありませんよ、僕はしがないヒゲもじゃ男子ですからね、大方、テロリストとでも間違えてるんでしょうよ。そりゃ女子には勝てませんよ…。と思い、ハジメを見ると、40代女性を中心に署名をもらいまくっている。「プリーズプリーズサイン、アイムハジメ! 核ダメ、ノー核!」とわけのわからない英語を喋ると女性は「キャー! エクセレント! ミスターハジメ!」…おのれイケメン。…おのれ世界標準の顔面。とりあえず、肘は燃やしておき、この事件以後、僕は写真係に専念。
苦々しい思いを抱えながら。署名を終了。結局、80筆を超える署名が集った。南森町でやった時より多い!
キャピ女の一人から「山ちゃん署名何筆集められた? キャピキャピ」と聞かれ、心苦しくなった。
典型的ニューヨークギャルも署名
ハジメと馬車ひき
のジュリエット
11時過ぎからパレードの始まる14時までは自由時間。そのスキを突いて、打ち解け始めたK市のお祭り男さん(仮名)、M市のYさんとニューヨーク近代美術館(通称MOMを見学。入場料は20ドルと日本の美術館よりは少々高めだが、展示物の質・量は日本の美術館の比較にならない。代表的なところではパブロ・ピカソの「アビニョンの娘たち」があり、ほかにもクリムトやゴッホ、モディリアーニの名画が一堂に会していて、右脳への刺激が凄かった。
頭がいい感じにグニャグニャになった所で次はパレード。集合場所はタイムズスクエアで、まず1時間弱集会を行う。色んな国の言葉が飛び交っていて「日本代表で来たのだ」という思いを新たにさせられる。韓国人のスピーチと、日本人の被爆体験談が印象的だった。
大盛況の集会
集会後、国連本部横のハマーショルド広場まで、約1時間をかけ、イレズミだらけの黒人警官にときおり怒られながら、行進(みなさんの署名はこのとき国連側に引き渡されました)。
パレードの隊列に並んだ時の熱気と高揚感を僕は一生忘れないだろう。国籍・人種・言語、全てがバラバラの数万人が、一つの目標を持って声をあげる。
自分の人生を振り返った。今まで自分の能力だけを信じて、一人だけで行動してきた自分が恥ずかしかった。そして、ここまでの経験をすることは、死ぬまでないかもしれない、そう思った。このひとときを大切にしたい。
誰かが、平和を叫べば僕も平和を叫んだ、誰かが平和を歌にすれば、僕も歌った。皆が、一つになった。最良の時を生きた。
パレード中の僕たち
テンションが上がりすぎて、夜のことはあまり覚えていない。たしかステーキハウスで食事をし、その後お祭り男の部屋で軽く飲んだはずだ。キャピキャピした一団はブロードウェイに「マンマミーヤ」を見に行ったとか。
NY二日目 2010.5.3 トップへ
朝も早く、9時からSEIUというアメリカの労働組合の講堂で労働者国際交流集会に出席。前日のパレードを経て、平和に対する意識がエンパイアステートビル並みに高くなっていたので、真面目な会議でも眠気を感じない。神妙な面持ちで話を聞く。会議は11時に終了。
次のイベント、リバーサイドチャーチでのシンポジウムは16時開始だったので、空き時間を利用し、お祭り男たちと、自由の女神&ソーホーの観光に行くことに。運転が異常に荒く、時刻表すらない、うんざりする地下鉄で南へ20分ほど行って、自由の女神のあるバッテリーパークへ。
バッテリーパークに着いた瞬間、本とタイマツを持ったあの有名な女神がドーン!と目の前に…、と思いきや、メッチャちっさい! 単三電池くらいの大きさにしか見えない。完全にしてやられた…。みなさん、自由の女神はリバティアイランドという小さな島に鎮座しておりますので、バッテリーパークから船に乗らなければ、フルサイズで見られません! ご注意ください。
単三電池のような自由の女神とお怒りの僕
時間がないので泣く泣く船は諦め、自由の女神とおぼしき単三電池状のものと記念撮影。次なる目的地ソーホーに。
ソーホーは芸術家やデザイナーが多く住む、五番街とは少し違う味を出したおしゃれタウンと聞いていたが、そうでもない。五番街と同じようにビッグメゾンが立ち並び、五番街と大差はない。調べてみると、最近は家賃の高騰で芸術家などは住めなくなってきているらしい(ウィキペディアより)。
それでも、小さな店や雑貨屋も多いので五番街=表参道、ソーホー=代官山くらいの差はある。町並みもいかにもオフィス街なNYの中心とは違い、風情があり、またチャイナタウンが近いせいか、漢字も散見され東洋人にもなじみやすい。個人的にはNYで一番興味を持った場所だった。大阪も博労町〜南堀江あたりまでをソーホーのように開発すると良いんではないかと思うが、まあ、阪神高速が邪魔でどうしようもないか。
ファーストフード店、バーガーキングで軽食を取る。バーガーキングの女性店員の接客は史上最低で、もはや無愛想界の一つの記念碑的達成であると言える。二度と行かない。いい加減仕事を罰ゲームと思うのはやめて欲しい。
その後、シンポジウムの会場、リバーサイドチャーチへ向かう。リバーサイドチャーチは午前中までいた、NY中心部より更に北にあるので、なかなか遠い。余裕を持ってソーホーを出発。名残惜しい…。
リバーサイドチャーチはコロンビア大学の近くにあり、有名なキング牧師がベトナム戦争反対の演説をしたことで有名。建物も立派で3000人くらいは座れるかな。
すばらしいシンポジウム―
がんばって活動すれば
核兵器はなくなるんじゃないか
…本気で思う。
パレードの次の日
神妙な面持ちで話を聞く僕
「核兵器のない世界へ」国際シンポジウムという事で、エジプト軍縮大使、NPT・ニューヨーク行動国際企画委員会代表、など各国の偉い方々が、壇上にいて、客席も満席。
そして、最大のサプライズが中盤にあった。シンポジウムの中盤、司会の方が「ここで日本の国会議員の方が発言したいそうです!」といって壇上に呼び入れたのは、志位和夫氏だった。言わずと知れた日本共産党の委員長である。日本のスーパースターの登場とあって、会場は割れんばかりの拍手で包まれた。
リバーサイドチャーチの志位委員長
志位さんは笑顔で話すので誠実な人柄が伝わってきた。バーガーキングの接客ごときでイライラしていたこをなんだか申しわけなく思った。
シンポジウムも素晴らしいもので、このあたりから「がんばって活動すれば、核兵器はなくなるんじゃないか」と本気で思うようになってきた。
シンポジウムは18時30分に終わり夜は自由行動。前日、ミュージカルを見られなかったので、見に行く。
当然のごとく地下鉄を乗り間違えたが、数々の珍事件に遭遇し続けた結果、メンタル面が最強になっていたので、クソいい加減な英語で道を聞きまくって対処。開演の20時丁度に会場のアストゥシアターに到着。観劇した芝居は「ブルーマン」。簡単に説明すると「体中を青く塗った成人男性が珍妙で軽妙な小芝居を見せる」劇。今は東京にも来ている人気公演である。
ブルーマンは基本的に、ペンキをぶちまけたり、雨どいのようなパイプを楽器にしたり、マシュマロを投げたり、とアクションでの芸が中心で、英語が分からない人でも十分楽しめる。客席を巻き込んだパフォーマンスもあり、演者と客の一体感は半端じゃないので、かなりオススメです。
※ただし、客席の前の方はペンキが飛び散るのでビニール袋をかぶされます。熱気がこもり最終的に人間ショウロンポウと化しますので、ご注意ください。
ブルーマンと肌色の大阪人
大満足の一日を終え、この日はお祭り男の部屋で飲むのをやめ、酒をコロナエクストラ一本に控え23時過ぎには就寝。なじめてないのではありません! 次の日が早いのです。
NY三日目 2010.5.4
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なんと午前中から14時まで自由時間! 前日よく寝たので元気。8時にホテルのロビー集合なので、いってみると、戦慄が走るくらい空気がどんよりしている。
キャピキャピガールズもYさんもお祭り男も異常に顔色が青い。ハジメにいたっては顔色が青を通り越して、ピッコロ大魔王のような色になっている…。何でもハジメは野球好きが高じて、前日、T市のファイブミニさん(仮名)、Y市のケンウッドさん(ほぼ本名)とヤンキースタジアムに野球を観戦に行ったらしい。その試合でわけのわからない9番バッターがホームランを打ち、サヨナラ勝ちをするという場面にわけもわからず感動して、わけのわからない量のファッキンアルコールを摂取した結果、極度の二日酔いになったそうだ。アホである。
お祭り男やキャピキャピガールズも各々別の理由で盛り上がり、全員二日酔い。一人だけ万全の体調に持ってきた僕を、全員が死にかけのハマチのような目で責めるように見つめ、「お元気そうで何より」…え?僕が悪いん?
とりあえず僕が謝罪するという、正義が負ける対応でことなきをえて、みんなでセントラルパークへ。車を改造した屋台で、チョコパンやホットドッグを購入し、食す。お腹が膨らんでくると、みんな円満な空気に。
9時すぎくらいに、メトロポリタン美術館に行く班と自由の女神をフルサイズで見る班に分離。門真の美学者こと、ワタクシ山下は当然、メトロポリタン美術館に。同行者はいつもの、お祭り男とYさん。そして前日、ハジメを廃人同様に追い込んだファイブミニさん。
メトロポリタン美術館もMOMAに引き続き、素晴らしかった。MOMAよりは少しマジメな感じだが、展示物の量が圧倒的である。世界中のいろんな美術を展示しており、飽きない。4時間ほど時間を使ったが、とてもじゃないが全ては見られなかった。代表的な展示物はゴッホ「糸杉」、ピカソ「ガートルードスタインの肖像」。入場料は20ドル。
14時から15時20分までは「自治労連企画自治体労働者のつどいIN NY」。会場は前日と同じSEIUの講堂。ここでは、広島の秋葉市長、長崎の田上市長の話を聞けた。またビキニ環礁核実験で被爆された第五福竜丸の元・乗組員の方の講話も聞けたのだが、広島、長崎以外の被爆者の方の話を聞いたのは初めてだったので、鮮烈な印象を受けた。核の被害は広島、長崎だけではない。
15時20分以降は同じ会場で「核兵器をなくそう・世界青年のつどいIN NY」。アメリカ、日本以外にもドイツ、フランス、イタリアなど世界中の青年が集まって討論。言語が違っても反核への思いは同じであるということを痛感する。18時でつどいは解散。我々、大阪代表団は最後のディナーへ。
交流会のあと、パシャリ
せっかく最後なのだから、いい物を、ということで、レストランでステーキを食べる。この数日間、ジャンクフードを食べたり、B級グルメをはるかに下回るクオリティの、E級グルメを食べたりしていたため、感動で、涙が…。ピッコロ大魔王と化していたハジメの顔色も、常人並に戻り、酒が入ってからは魔人ブウ寄りに。
食後はすぐにホテルに戻り就寝、なんせ強行日程過ぎて、帰りの飛行機は午前4時出発ですから…。でも元気な連中はロックフェラーセンターの最上階「トップオブザロック」で100万ドルの夜景を見たそうな…。羨ましい。
最終日そして帰国 2010.5.5
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もう帰国するだけだ。
入国手続きに比べると出国の手続きなんかゆるゆるで、楽勝だった。機内では、O市の別府温泉好き子(仮名)さんから任天堂DSを借り、漢検ゲームをやりこんで2級を取得。
そして、機内CAが供給しているドリンクの中に、なんと日本のビールがあったのだが、ハジメが「イチローがCMしてるんすよ、イチローがCMしてるんすよ!」と騒いで、キリンビールを飲みほしたせいで、クソまずいアメリカのミラービールを飲むハメに。腹いせに「麒麟」と漢字で100回書かせる。
サンフランシスコ発の便から関西国際空港におりた時、日本語だらけの案内を見て、「ああ帰ってきたんだな」と思った。ダッシュですしを食べに行った。
おしまい!
※本滞在記の人物造形には一部誇張した部分があります。
あとがき トップへ
振り返ってみると、素晴らしい、おとぎ話のような、あっという間の4泊6日だった。普通の旅行では出来ない体験をたくさんした。今回の滞在記では、みなさんに興味を持ってもらおうと、観光の部分も多々紹介した。しかし、それは普通の旅行でも経験できる部分である。やはり、今後、一番僕自身の血肉や栄養になっていく部分は、反核運動やシンポジウムでの体験だと思う。これらの運動を通じて僕は「日本人としての責任」を痛感した。
日本は唯一の被爆国である。日本人が声をあげていかなくては、いかなる反核運動も説得力を失ってしまう。この文章をお読みの方の中には「核廃絶は不可能」「核のない外交はありえない」という考えをお持ちの方も、多くいらっしゃると思う。僕はそれらの考えを無理矢理改めたいとは思わない。その人が何十年生きてきて、必死で考えて出した答えが「核廃絶は不可能」なら、それが正解なんだろう。批判はしない。
日本人は核兵器廃絶の声をあげていこう!
ただ、もう一度言う。日本は世界でたった一つ、原爆で数十万人の命を理不尽に奪われた国である。今我々は、現実の生を日本で送っている。何の因果で日本に生まれたかは分からない。しかし、僕はNYでいろんな人に出会って、いろんな経験をして、我々日本人には核廃絶のために声をあげていかねばならない潜在的な責任があると感じた。
世界中でくりひろげられている、反核運動を絵に描いた餅に終わらせないためにも、日本人が率先して声をあげていかねばならないのではないか。
みなさん、もう一度考えてみて欲しい。そして5年後のNPTの再検討会議に率先していってくれる人が現れるのを、期待しています。
※僕も自腹でついていきます!
さあ、出発だ!!
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